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日本の宗教の変遷
古代:神道の起源と仏教の伝来
日本の宗教の原点は 神道 である。自然崇拝や祖先崇拝を基盤とし、八百万の神々を信仰する形態が特徴だ。これは、特定の開祖や教義を持たないため、長らく日本独自の宗教観として続いてきた。
仏教の伝来 は6世紀、公式には 538年(あるいは552年)に百済から日本に伝えられたとされる。これにより、神道中心だった日本に初めて体系化された宗教が根付き始めた。
飛鳥時代には蘇我氏と物部氏の対立 が起こる。蘇我氏は仏教受容を推し進め、物部氏は神道を重視しこれに反対した。結果として蘇我氏が勝利し、仏教は政治と深く結びつくようになった。
奈良・平安時代:国家仏教と密教の発展
奈良時代になると、仏教は国家統治のために利用されるようになる。聖武天皇が 東大寺を建立 し、国家安泰を祈る大仏を作らせたことがその象徴だ。これにより 鎮護国家 の思想が広まり、仏教は国家権力と一体化していった。
平安時代に入ると、仏教は新たな展開を迎える。 最澄 が比叡山延暦寺を拠点に 天台宗 を、空海 が高野山に 真言宗 を広め、日本独自の密教が成立した。この時期から「悟り」だけでなく「現世利益」を求める要素が強まり、庶民にも受け入れられるようになった。
鎌倉時代:新仏教の成立と武士の宗教
鎌倉時代になると、武士の台頭とともに新しい仏教が生まれる。平安仏教は貴族中心だったが、鎌倉仏教は 庶民や武士に広がる ものだった。
代表的な宗派として、
- 浄土宗(法然):阿弥陀仏を念じることで極楽往生できると説く。
- 浄土真宗(親鸞):念仏だけで救われるとし、厳しい戒律を排除。
- 日蓮宗(日蓮):「南無妙法蓮華経」を唱えることで救済されるとする。
- 臨済宗・曹洞宗(栄西・道元):禅宗が広まり、座禅による悟りを追求。
これらは庶民や武士の精神に合致し、特に禅宗は 武士の精神修養 に大きな影響を与えた。
戦国時代:仏教勢力の武装化と規制
戦国時代には、仏教勢力が巨大な軍事組織を持つようになった。とくに 比叡山延暦寺 や 本願寺 は一大勢力となり、武装化して領地を持つようになった。
- 織田信長は比叡山を焼き討ち し、宗教勢力の政治的影響を排除。
- 一向一揆(本願寺門徒) は武士に対抗し、激しい戦いを繰り広げた。
- 酒池肉林 など堕落した僧侶も多く、信長はこれを戒める意図もあった。
一方で、16世紀には キリスト教(カトリック)が日本に伝来 し、宣教師フランシスコ・ザビエルらによって布教が進んだ。
- 豊臣秀吉は当初キリスト教を容認していた が、奴隷貿易の実態を知り、1587年にバテレン追放令 を発布。
- キリスト教を布教する宣教師が日本人を奴隷として海外へ売り飛ばすことが発覚し、これが規制の直接の理由となった。
つまり、仏教もキリスト教も「宗教的な弾圧」ではなく、「政治的な理由」で規制された。
江戸時代:キリスト教の禁止と寺請制度
江戸幕府はキリスト教を徹底的に排除し、幕府の支配体制を強化した。
- 1637年、島原の乱(キリシタンの反乱)が起こり、幕府は徹底鎮圧。
- 1639年、鎖国政策 によりポルトガルとの貿易を禁止。キリスト教の布教を完全に断つ。
- 寺請制度 を導入し、すべての民衆を仏教寺院に所属させることでキリスト教の広まりを防いだ。
こうして、江戸時代には仏教が庶民の生活に根付き、キリスト教は完全に地下へ潜った。
明治時代:神道の国家宗教化と仏教の衰退
明治維新後、政府は国家の統合を図るため、神道を国家宗教(国家神道) とし、仏教を排除する動きを見せた。
- 1868年、神仏分離令 により、全国の神社から仏教要素を排除。
- 一部では廃仏毀釈運動 が激化し、寺院が破壊される事態も発生。
しかし、仏教自体は完全には消えず、明治中期以降は再び信仰が戻った。
また、明治期にはキリスト教も再び解禁され、ミッション系学校などを通じて広まった。
現代:宗教の形骸化と精神文化としての信仰
戦後の日本では、信仰そのものは薄れたが、宗教的な行事は続いている。
- 初詣、七五三、お盆など、神道行事 は文化として根付く。
- 冠婚葬祭の場面では、結婚式はキリスト教、葬儀は仏教というように使い分けられる。
- 無宗教を自称する日本人は多い が、実際には神仏習合的な価値観を持つ。
日本では 「信仰」よりも「習慣」として宗教を受け入れる 傾向が強い。
まとめ
日本の宗教は、時代とともに変化しながらも、政治や社会の影響を受けつつ独自の形を保ってきた。特定の宗教に偏らず、状況に応じて異なる信仰を取り入れる柔軟性が、日本の宗教観の特徴である。